Vol.Z(9月9日)
★ Mathieu Dufour氏へのインタビュー
2001/9/9
ザ・フルート第51号より
シカゴシンフォニーの首席奏者として彗星のようにフランスから現れたマテュー・デュフォー氏。アメリカに居を構えてわずか一年半でありながら天性の耳の良さなのかフランス訛りもなくなり、まるでネイティブのように英語を操るドュフォー氏にお話を伺った。 丁度夏のフルートコンベンションの為の来日が決定した直後だったので、彼の大好きな日本食を食べながらのインタビューになった。 歌うように息を使うフルート ―まずはマテューさんについて、フルートを始めたときのことなども含めて少し教えて下さい。 1972年12月28日、パリで生まれ育ち26歳でシカゴに引っ越してきて現在28歳になりました。 父親は役者、母親は心理学者で、音楽とはまるで関係ない家庭だったのですが、小さい時からクラシックコンサートなどには良く連れて行ってもらい、双眼鏡でパリ国立管弦楽団で吹くミッショエル・デボストを遠くから見つけては「自分はいつかはあそこで吹く人になりたい」と思っていました。 8歳から本格的にフルートを習い始めたのですが特に大きな動機と言ったものはないですね。 それまではリコーダーを吹いていました。 最初についた先生からはとにかく音楽の楽しみ方を教えてもらいました。技術的なことより何より「音楽」そのものを楽しむことを…。特に有名な先生ではなかったのですが、その先生が楽しく指導してくれたお陰で今の自分はあると思います。 僕はどこにでもいるようないたずら小僧で、練習などろくにせず暇があれば遊んでばかり、しょっちゅう怪我や骨折などをしてレッスンを休んでいたんです。もしスパルタで練習練習とうるさく言う人だったらきっと続いていなかったでしょうね。 14歳でパリにある音楽学校に通い始め、満場一致のゴールドメダルを受けて卒業しました。 17歳でリヨンの国立音楽大学でマクサンス・ラリューについて勉強を始めたときに、10歳から続けていたチェロの勉強は断念したんです。もっとフルートに専念する為に。 チェロは今でも好きな楽器ですが、歌うように息を使って吹くフルートという楽器が自分に合っていると思ったからです。 その頃からですね。「こんな風に吹きたい」というような感覚的な欲求があって、その為に真面目に練習するようになったのは…。 頭にある音を実現させる為の必要不可欠な努力だったので避けて通ることは出来なかったわけです。幾ら怠け者の僕でも…。 大学に入った当初は本当に怠け者で全然練習なんかしなかったですね。目覚めてなかった、と言うべきかな…。 ―ラリューさんのクラスからは多くの優秀な演奏者が育っていらっしゃいますが、どんなレッスンだったのですか? 彼はバッハやブラーベなど、バロック時代の音楽が好きで20世紀の作品はあんまり好みませんでした。僕は彼からその頃の多くのレパートリーと様式感を学びました。 演奏家として優れた人なので、身近で彼の演奏が聴けたことは大変幸せだったと思います。 僕が色々な質問をすると彼は彼の考えがあるので興味深い返答をくれるのです。求めたら応えてくれる、そういう先生だったので自分にはとても合っていた。 また若い時期にバロックをたくさん勉強できたことに対しても感謝しています。 ―その他に影響を受けた人はいますか? 一度オーレル・ニコレのレッスンを受けたことがあるのですが、彼が言葉で言ったのはアンブシュアについての何でもない事だったのだけど、それからそのことを考え3年間練習しました。 その言葉の裏に潜むことを考えながら…。 もし頭を使わなければただ彼の言った言葉の表面しか受け止められなかったと思います。 ある到達点に届くためには色々な方法がある。各自が自分に合う方法で、自分の頭と体を使ってその到達点を探すのです。 それは先生から教わる物ではない。自分で探し出す物です。 良い先生はその指針が与えられる人ではないでしょうか。 ニコレはそれが出来る数少ないマスターだと思います。彼のくれた言葉は、僕に向かうべき方向を与えてくれました。 師匠であるラリューはもちろん、ランパルやゴールウエイなど色々な人から影響を受けましたが、ロストロポービッチやアイザック.スターン、カザルスなど他の楽器の偉大な演奏家からも多大な影響を受けました。 どの演奏家が好きかという質問も良く受けますが、この人のこの演奏、例えばニールセンのコンチェルトのレコーディングはゴールウエイのものが最高だと思うけど、この曲ならこの人の演奏、この人のあの時の演奏、といった聴き方をするので一概にどの人が好きだとは言えませんね。 現場で学ぶこと ―マテューさんは今もお若いですが、随分お若いときからプロとしてシンフォニーで活躍されていますね。 91年、20歳の時にトゥールーズの国立オーケストラの主席奏者となったことがプロとしての始まりです。その間幾つかのコンクールで入賞して、93年からパリ国立オペラ座のスーパーソロイスト(首席奏者の主席)のポジションを与えられ、いろいろなオペラの経験を積みましたが、この時のことは今の自分に大変役立っています。 たくさんの偉大なオペラ歌手を身近で見、聞いてきたからです。 同じ音楽をするものにとって歌うように演奏することは本当に大切なことです。 どうしてもフルートのような技巧的に難しい楽器の演奏者は、音楽を忘れてその楽器を扱うことに神経を使い果たしてしまう。 上手な歌手からは音楽的に学ぶことがたくさんあります。いかに音楽を運ぶか、音楽を感じるか、そしてもっと具体的にどのように喉をあけるのか、どのようにブレスをするのか、その時に多くのことを学びました。 まあ「現場で学ぶ」ことがたくさんあるわけです。 そういう意味でも早くから厳しいプロの世界で働き出すことができて自分はラッキーだったと思っています。 ―シカゴシンフォニーのオーディションはどのような経過で受けることになったのですか? 総監督のダニエル・バレンボイム氏から招きを受けたんです。 無事オーディションにパスしてシカゴシンフォニーの主席奏者として迎えられて、99年にアメリカ合衆国に引っ越してきました。 今は2シーズン目なんですが、まだまだ新しいことや学ぶべき事がたくさんあって、面白いですね。 シカゴシンフォニーのホールは素晴らしい響きがしますが、大きな所なのでパワーが必要です。 フランスにいたときはC管を吹いていたのですが、こちらに来てバランスも良くパワーもある総金のH管に買い換えました。 オケでも一番若いし最初は緊張しましたが、今は楽しんで吹いています。といってもいつも帰る車の中では反省ばかりしているんですが…。 シカゴシンフォニーの主席ということで、知らない人から電話がかかってきたりわずらわしこともたくさんありますよ。 僕の私生活が覗かれていてプライバシーがないような気になる時もあります。また違う女の子と歩いていたとかあいつはどうもゲイらしいとか、そういうくだらない噂されたり…。それがマイナスの面かな…。 5年後、10年後のことはわかりません。挑戦が無くなったらもうここにはいないかもしれません。 名誉とかお金には興味はないですね。 今は新しいものに挑戦することが楽しいので、色々な所で吹かせてもらっているんです。 ―楽器の話が出ましたが、今お持ちの楽器が新品で買った楽器としては2本目なんだそうですね。 父親は僕が11歳の時に死んだのですが、彼はクラシックファンで僕がフルートを吹くことをとても自慢に思ってくれていました。 母親も絶えず僕が音楽を続けることをサポートしてくれました。裕福な家庭ではなかったので楽器はずっと中古のフルートだったわけです。 初めて新品のフルートを手に入れたのはパリオペラ座の時に買ったムラマツの14金の楽器です。 初めての新品、それも初めて自分で稼いだお金で買った楽器でしたからとても愛着があったので、手放すときは相当な決断が必要でしたね。 フルートを吹くと言うことは指を使い色々な温度の息を使い、口の中を狭くしたり広くしたりして変化のある、柔軟性のある音色を出していくこと。 だからキャラクターやパーソナリティのあり過ぎるものではなく、自分で自由に変化させられる楽器が好きです。 コンクールは自分への挑戦 ―マテューさんは数々の有名なコンクールで入賞され、また今回8月に行われる日本のコンベンションの審査員もお引き受け下さると聞いています。コンクールについてはどのようなお考えをお持ちですか? 僕自身今までいくつかのコンクールを受けてきたわけですが、コンクールそのものはバカらしいことだと思っています。 音楽に点数なんか付けられないわけで、自分のその日の体調、審査員のご機嫌、前後にどんな人が吹いているかなど、いろんな一瞬の事が結果に現れるわけですから・・。 ただ自分を知るには良い方法だと思っています。だから1位であろうが2位であろうが、僕にとってはあんまり重要ではないのです。 自分を如何に高いステージに持っていくことが出来るかへの挑戦です。その為には良いチャンスだと思いますよ。 だからそう言う意味でコンクールは大変有意義なもので、競争そのものには何の価値もないと思っています。 「自分への挑戦」と思って受ければどんな結果が出されようが価値のあるものになるのではないでしょうか。 ―フルートを吹いていない自分、というのを想像できますか?もしフルーティストになっていなかったらどんなことをされていたでしょうね。 うーん、今それを考えるのは難しいですね。 これが自分の与えられた道だと思うから。 でも写真家になって世界中を旅していろいろな人に会うっていう生活もいいなと思う。そうなっていたかもしれない。 サーフィンが好きで1ヶ月ポルトガルの海でテントをはって遊んだことがあります。インドネシアにもサーフィンだけ持ってしばらく滞在しました。いろいろな現地の面白い人と出会って本当に楽しかった。フルート?もちろん持って行きませんでしたよ。インドネシアに行ったときは日本で買った尺八だけ持っていきましたけど…。 各地で演奏会をしてもその国の偉い人達が集まってお世辞をいっぱい聞かされて高級な料理が並ぶパーティに出て・・ていうのは好きじゃないんです。 その国の、本当の人々に会って生活を感じられるような会話を交わし、その人たちのことを知る。だからそういう演奏旅行がしたいです。 今年の夏に日本へは2度行くことになっています。神戸のコンクールに行った時に文化的なことも含めて日本が好きになったので、とっても行きたかったのです。その為にオーケストラの休日を全部返上したんですよ。 今から日本の皆さんに会えることを本当に楽しみにしています。フルートコンベンションにくる人はフルートを吹く人ばかりだろうからちょっと緊張しそうですね…。 とにかくフルートを吹く人、吹かない人、色々な人に会いたいです。 ―最近あなたのベリオのセクエンツァを聞く機会がありました。難解な曲なので、吹く方も聞く方も覚悟が必要なように思うのですが、あの時の演奏はとても音楽的で、会場のみんなが緊張感さえも楽しんで聞いていたように感じました。現代音楽にはこれからももっと挑戦していきたいですか? あれで多分3度目のパフォーマンスだと思うんだけど、自分自身今までの中で一番楽しんで吹けたような気がします。 というのも、いくらかベリオの「言葉」がわかるようになってきたからです。 現代音楽はとにかく練習に時間がかかってしまう。 昔は作曲家が共通の言葉を持っていたので理解しやすかったけれども20世紀の作品は一人一人の作曲家がそれぞれ独自の言葉を持って作品を書いている。だからその言葉をまず理解するのに時間がかかってしまいますよね。理解した上で自分のものにしようと思うと相当な努力が必要です。 たまたまベリオのセクエンツァはそうやって吹く機会に恵まれたから、もし出来れば今後も吹いてみたいと思うし、次はもっと楽しめると思う。 でも今の自分にはこういうレパートリーを広げる時間があまりに少なすぎます。だからなかなか難しいですね。 音楽は長い旅のようなもの ―現在シカゴにあるルーズベルト大学で教えていらっしゃいますが、アメリカで教えていてフランスとの違いなど感じることがありますか?またどんなクラスをお持ちなのですか? この国には、またこの地域にはまだまだ自分が教える余地がたくさんあると思います。 アメリカ人は批判されることに慣れていないので学生に直接的に吹き方の批判をすると凄く変な目で見られる。アメリカの学生はとにかく「上手ねー!」と誉められて大きくなっているのです。 吹き終わっていきなり「違う!違う!」なんて言ったらそれこそ全性格を否定されたかのように受け取る学生が結構多くいるのです。 その辺から戦わないといけないので大変なんですが、自分に出来ることがたくさんあるのではないかと思っています。 今はまだ生徒は少ないのですが、僕は教えることにとっても興味を持っているので面白いマスタークラスを是非とも実現させたいと思っています。 僕の教えている大学は語学を学ぶクラスと平行して音楽の授業も取れるので、留学生も大歓迎です。 フランスで教えている時日本人のとっても優秀な生徒を教えていたのですが、日本からも是非来て欲しいですね。 具体的にははとにかく感覚的に音楽を楽しむことと、理論的な考えを持って音楽を理解していくこと、その両方を教えたいです。 前者をフランス的、後者をドイツ的と言えるかもしれませんが、良い音楽家になるためには両方を兼ね備えているべきだと思うのです。 でもとにかく音楽に対する「情熱」がなければどんなにテクニックを磨いても良い音楽はできません。 今の僕はホントに馬車馬のように働いているんですよ。休みの日なんてほとんどない。次々にある演奏会の準備、本番、ティーチング、本番の後は「ああ、もう少しここはこうするべきだった」とか「もっとこんな風にすれば効果的だったのに」とか反省で頭の中は一杯…。 こんなこと、もし音楽に対する情熱がなければ絶対続けられませんよ。「音楽に対する情熱」がまずあって、だからこそ次に「それを表現するためのテクニック」を身につける必要があるのです。 学生にもそれを望みますね。その情熱があれば、後は自分の理想に近づくため如何にテクニックを磨けばよいのか、その苦労はたいしたことではないでしょう。 コンクールで1位になりたいからとか、僕のように吹きたい、などという理由でレッスンを受けに来る人がたまにいますが、あなたにしか出来ない音楽を作るべきなのです。 あなたにはあなたの人生があって、それは競争ではない。 競争で勝つことによってもしかしたら僅かなテクニックは身に付くかもしれない。でもそれは音楽の本質とは何の関係もないものです。 音楽は長い旅のようなもの。忍耐強く続けて行こうじゃないですか。 ―オーケストラで吹くだけでも大変なのにあちこちで頻繁にソロや室内楽をされているマテューさんの生活は本当に多忙を極めていらっしゃいますが、そこまであなたを突き動かす「音楽」っていうのは何なのでしょうね。 僕が演奏するもの、それが僕自身です。 その時の自分の持つ全てを音楽に込めて演奏する…少しオーバーですが、いつも真剣勝負なのです。フルートは自分にとっては体の一部のような物。自分自身を表現するための一つの手段です。 僕はおろかで無知な人間になりたくない。 たとえば人種差別、これは無知だからおこる。賢くないからそのような偏った考えを持つようになるのだと思う。 僕はそのような無知で片寄った人間になりたくない。常に前進したい。向上したい。だからそのための手段でもあるんです。僕にとっての音楽は・・。 僕は時々感情的になりすぎると言われます。楽しい時、悲しい時、その感情を表に出しすぎる傾向がある。それを自分でコントロールできるようになりたいと思っているし、そのように努力している。 音楽はそんな僕の感情を代わりに語ってくれるものですね。 |
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