郁子.Armandiのシカゴ便り

Vol.T


北米では唯一のフルート専門誌「フルートトーク」はシカゴ近辺に本拠地がある。ピアノや管楽器専門紙も発刊しており、びっくりするような大きな建物の中、たくさんの人が個室を持ってコンピュータに向かって編集に取り組んでいる。最近子供向けに「フルートエクスプロアー」も月刊誌として始まった。これは10歳から18歳くらいまでをターゲットにして、フルートの基本的な構造や音楽史などが面白くわかりやすいように解説されていて、なかなか評判も良いようだ。私の生徒達にも定期購読をさせている。というのも、5冊以上まとめて年間購読を申し込むと一人一年間5ドルという安さ(フルートトークもグループで購読したら年間8ドル)だからだ。

編集担当のキャサリーン・ゴール・ウイルソンという人は70年代にパリでランパルについて勉強したフルーティストで、今も現役で演奏活動、教授活動を続けている上3人の子育ての真っ最中という信じられない女性である。また雑誌の表紙の写真も彼女が撮ったものが多く、彼女の忙しさは想像を絶している。

内容としては、全国のプロフェッショナルなフルーティストから寄せられる曲の解釈や奏法、またコンクールやワークショップ情報など多彩だが、一番中心になるのがインタビュー記事である。国内外のトップソリスト、オーケストラプレイヤー、また話題の人などを毎回取り上げ、読み応えのあるものに仕上げている。さすが現役の笛吹き、キャサリーンがインタビュアーーだけあって、質問もなかなか鋭く面白い。

2000年の冒頭を飾ったのは、神戸のコンクールで優勝して一躍有名になり、その後ベルリンフィルの首席奏者として、またソリストとしても活躍しているエマニュエル・パユであった。彼ももはや30歳になり今や2人の子供のお父さんだそうだ。しかし相変わらずの男前である。去年の暮れにベルリンフィルがシカゴで演奏をしたので、多分その時に取材したものと思われるが、今回はそのインタビュー記事から抜粋してみたいと思います。少し大人になった、しかし相変わらずちょっとつっぱっている彼の姿がかいま見れます。



☆「エマニュエル・パユとのインタビュー」フルートトーク2000年1月号より

「コンクールを受ける時にはどのような準備をしましたか?」

準備段階では、技術面や難しい箇所、音色の問題など分析します。そして本番の時は細かい分析のことは全て忘れて、音楽のことだけを考えるようにします。ステージに上がる前に全ての仕事は終え、そして次に音楽が取って代わるのです。多くの音楽家は上手に演奏するけどその楽器の技術的な腕前を見せびらかす為に演奏している。解釈すべき音楽を忘れ、自分のことばかり考えてしまう演奏家もいますね。しかしこのレベルではある程度の腕前があるのは当然なのですから。

「ジュネーブのコンクールの一ヶ月後にベルリンフィルに合格されるわけですが、ソロの時とオーケストラの一員としてでは奏法に違いはありますか?」

私はソロもオケでも同じように演奏しています。大切なことはどんな風に吹くかと言うことです。もし演奏者がある吹き方で慣れていたら、同じやり方でオーケストラでも練習できるやり方を見つけることができると思うから。オーケストラで吹くことは強弱を合わせたり他の奏者と音をブレンドさせたりということが要求されるので、柔軟でなければできませんね。

「オーケストラで吹くためにはうんと精神的に集中しなければいけないと思いますか?」

まったくそうです。もしその音楽に集中していたらどうするべきかわかってくるでしょう。もし気づいていれば完璧を追う必要はなくその音楽の瞬間に浸ればよいわけです。フルーティスト達がピアニッシモの音を作ったりなめらかなパッセージを運んだりするのも、音楽的要素が共なわなければ意味ないですよね。フルートは肉体的な努力が音楽的にされるとき、大変効果を発揮する楽器だと思います。

「主席というポジションをアンドレアス・ブラウ氏と一緒にされていますが、一緒に仕事をする機会はありますか?」

僕たち二人はとても気が合い良く喋るのですが、我々は交代で演奏するので一緒に吹くことはあまりありません。ツアーに一緒に行くときなど、年に少なくとも2度くらいは一緒にできるよう組んでは見るのですが…。交代で主席をやっているからこそ僕はソロ活動やレコーディングなどもできるわけです。多くのオーケストラはこの理由で主席を2人置いています。音楽家がソリストとしてオーケストラでの仕事を考えることが可能だと、より幸せだからです。束縛される感覚もないし、オーケストラでの音楽にそれが影響するし・・。ソロコンサートによってオーケストラでの演奏の質が高まります。どういう姿勢で取り組むかという問題になってくるでしょう。プロコフィエフのソナタのような難しい曲は、すごい長い休みの後に出てくるソロのようなときにも美しく吹き始めることを可能にするよう僕自身を磨くことができます。

一年のうち半年をオーケストラで、後はやりたいと思うことに使うようにしています。すごく自分にとっては恵まれたものです。一日2回も飛行機に飛び乗ることも度々あるし家族と過ごす時間もあまりないような状態なので、来年(2000年)はもう少し妻と二人の息子と一緒に過ごせたらと思っています。

「オーケストラでもっとも楽しんでいることは何ですか?」

素晴らしいソリストやクラウディア・アバド、サイモン・ラットルなどの偉大な指揮者と一緒に仕事ができることですね。僕の人生や音楽的経験にとって彼らと接することは大変大切なことです。そのような偉大な芸術家を知り、音楽的瞬間を共にすること。僕らを巻き込むようなすごいオーラが彼らにはあります。彼らがいったんステージに登場するとみんな幸せな気分になるし、演奏を始める前からどのように演奏するかも納得してしまう。僕としてはオーケストラでの演奏とソロ演奏がお互いより良く影響するよう努めています。パールマンがベルリンに来たとき、彼の娘とそのフルートの先生と一緒に彼も僕のリサイタルに来てくれたことがあります。予想しなかったことだけど素晴らしいですよね。彼らが来ると言うことは事前に知らなかったから良かったんだけど・・。

「どんなプログラムだったんですか?」

フルートとピアノに編曲されたドビュッシーの牧神の午後から始まってシリンクス、プーランクのソナタ、そして2部はフランクのソナタでした。

「指揮者にはどんなことを望みますか?」

すごいインスピレーションを持つ為に、人々をうっとり聞かせたり彼がいなかったら違った演奏をさせるだろうというような人。同時にすごく人間的な一面も持ちどこにビートがあるかを示す代わりにちょっとした仕草で伝えられる人。まるで僕らを驚きへと誘うような。実際こんなことがよくあるんですよね。ビートを打つタイプの指揮者はあまり好きではありません。最近サイモン・ラットルが振ったマーラーの10番ですごい演奏体験をしました。僕の初めての年の9番の最終楽章でも。それとブラームスでもあります。オーケストラで演奏しだしてからブラームスの演奏の仕方が変わりました。よりジャーマンスタイルのアーティキュレーションに変わりました。

「ドイツのオケで演奏すると言うことで、フランス的奏法は放棄しましたか?」

うーん、確かに学校ではフレンチトレーニングを受けましたがその前はベルギーにいて、その時はフレンチスタイルは勉強しませんでした。むしろドイツーイギリス式でしたね。いつもそのような混じり合った中にいるのでブルックナーを演奏した次の日にプーランクをやっても何の抵抗もありません。幅広くやる方がチャレンジのない同じ事を毎日繰り返すより好きですね。

「最近の木管フルートブームについてはどう思いますか?」

金属ではシャーシャーしたり締まりすぎたりしてバロックの音が作りにくいと言う問題があった一部のフルート吹きたちの興味がそこに反映しているんでしょう。違ったアンブジュアで木管を吹くことができるけど、僕自身もし古い木でできたもので違いがハッキリと出せるんならすぐにでも買うと思います。でも多くの木管が最近出来たものでまったく金属と変わらないのが多いように思うんです。僕には十分な違いは感じられません。オケの中の3人ともドイツのBraunという木管を持っていて、僕は5年ほど前に買いました。みんなそれくらいに買ってると思う。ピッコロ奏者にとってはすごく良い音が出せると思う。でももう一人の主席と僕は現在は使っていません。僕はブランネンをシェリダンの頭部管と一緒に10年くらい前に買ったけどすべてこれでやっています。僕が出来ることはせいぜいよく手入れをしてやるくらい。これでやるとすごく自由に吹ける。もっと良くなるだろうと思う箇所もあるけど別に他の楽器は探してません。

「パトリック・ガロワは今や木管だけ吹いていますよね。」

 彼は金属で吹くよりずっといい音を出している。だから換えて正しかったと思う。ジャック・ゾーンも彼の改良木管フルートで素晴らしい演奏をしている。もし彼ら自身が良いと感じるならそれで演奏すべきです。僕自身は木管の手入れはしたくないな。そして新しい楽器に慣れる時間そのものもないしね。

「何年かしたら必ずといっていいほど木管って割れてしまいますよね。」

買って6ヶ月の間に3度も頭部管が割れました。割れた箇所をメタルで埋めたものを持ってたけど、まったく金属と同じ音がしましたね。それもまた2週間で割れたけど、何とかまだ吹けますけどね。こんな風なことってそのものの価値よりもっとストレスを感じてしまう。

「現在あなたの年齢がモーツアルトがフルートクゥアルテットを書いた時とほぼ同じと言うことで、そのレコーディングが気になっていたとお聞きしました」

もう少し後にまたレコーディングする予定です。でも本当にすごく今やっておきたかった。モーツアルトは30代の早くに亡くなりましたからね。これからも生涯かかって何度もレコーディングするつもりです。」(モーツアルトのクゥアルテットは去年レコーディングされ、発売された)

「ヨーロッパのフルーティストはアメリカ人より現代曲を多く演奏していますが、なぜだと思いますか?」

1950年から80年にかけて、強力な現代音楽の中心となるものがヨーロッパにありました。ブーレーズやストックハウゼン、ベリオなど公費によって多くのコンサートやサマーフェスティバルを催すことができたんです。10年前に僕がパリで勉強した時、ストックハウゼンはその時までに少なくとも250の初演をやってたんですよ。60年代から80年初期には創造的現代曲はアメリカ合衆国ではさかんではなかった。でもそれは徐々に変わってきて90年代にはヨーロッパからよりアメリカから来るようになってきています。すごく印象深い変化だと思いますよ。21世紀はアメリカの作曲家がリードする時代になるんじゃないですか。

「何か音楽を作るときに哲学のようなものはありますか?」

楽器の吹き方を勉強したり音楽を演奏する知識を使ったり、そして舞台に立って実際演奏することはそれぞれ違うゴールを伴った3つの違うステップだと思います。ステージで演奏したいからという理由で演奏者は習い始めるべきではない。僕が最初にフルートを吹き出したとき、ただ隣の人が2階でやってること −モーツアルトのト長調のコンチェルト− がやりたかっただけ。その曲がまずやりたかった。ベルリンフィルとやりたいなんて全く思ってなかったし10枚のCDを一緒に作り、ほとんどのモーツアルトのフェスティバルで演奏するなんて考えてもいなかった。勉強し終えたときゴールを作って演奏活動を始めたのです。勉強、練習、技術の習得などについて考えました。フルートでいい音を出すためには本当に時間がかかる。僕はまず技術を磨き、パリで音の訓練をして舞台で演奏し始めました。後になってベルリンフィルで偉大な音楽家達と会い、幻想的な雰囲気や音色について取り組みました。そして今フルートを一つの道具として、またそれがあるべき姿として使い始めているところです。

2000年1月20日


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