関西笛の会会報
アメリカ特集号
2000年12月1日発行
発行所 関西笛の会事務局
編集 : 後藤菜美
〒572-0019 大阪府寝屋川市三井南町24-2-101

TEL/FAX 0720-33-4081
Home Page http://www.fuenokai.net/


今回はアメリカ特集号です。

加藤先生がツアー中に撮影したビデオを一生懸命ダビングして参加者に配りました。
まだアメリカからのビデオもあるようですが、皆何度もビデオをまわして楽しかったツアーを振り返っているようです。
参加者以外の方でもご要望がありましたら用意いたしますのでお気軽にお申しつけ下さい。

それでは、楽しく有意義だったアメリカツアーの様子を少しでもお伝えできたらと思いますので、しばらくの間お付き合い下さい。

ツアー参加者一覧
ツアーはジャパンアメニティトラベルと言う旅行代理店にお願いして行ないました。
6年前のアメリカツアーもこの会社にお願いし、そして今回も島田さんがツアーコンダクターとして参加して下さいました。
島田さん 気はやさしくて力持ち、陰からこまごまと気を遣って下さり、帰国後すぐに丁寧な手紙と写真をツアー参加者皆に送って下さいました。
対馬 潤
(常勤講師・総責任者)
シカゴでは1人で民宿に泊まるも、日本語のみでツアーを乗り切る。
郁子・アルマンディ
(常勤講師・シカゴより現地参加)
演奏会、ホームステイ、市内観光まで手配&ガイドをして下さり
大変お世話になりました。
加藤勇仁
(常勤講師)
ツアー中しょうもないおもちゃなどを衝動的に買うなどして子供達からひやかされていた。
後藤菜美
(常勤講師)
帰国後英語のEメールが何通か来たが言葉の壁が乗り越えられず未だ返事を出していない…。
古川美奈
(講師)
ツアー中物真似をするなど、意外な一面を見せ人気者に。
宮澤 愛
(ジョージア州アメリカスより現地参加)
友祐子ちゃんと舞ちゃんから妙になつかれお姉さまと呼ばれる。
田中万弥
(助手)
NFAコンベンション終了後帰国、なんとその数日後すぐモンゴルへ旅立ち1ヶ月帰って来なかった!
一針浩子
(助手)
つい最近まで生徒だった彼女、助手になって初めての行事。
男子生徒からモテモテだった。
森田明日香
(大1、Duneメンバー)
去年シカゴへ個人旅行をしたので今回は2回目のアメリカ訪問。
悠々とアメリカ生活を楽しんでいた。
原田宗幸
(高2Duneメンバー)
パフォーマンスの立役者。会場を沸かす為に真剣にパフォーマンスに挑んだ!
J.K
(高2Duneメンバー)
原田君の相方且つライバル。演奏もパフォーマンスもいつでも一緒。
竹本あす望
(高1Duneメンバー)
ちょっと寡黙なスイマー。
ホテルでは1人残ってプールで泳いだりしていた。
大久保友祐子
(中1)
ホームステイ先では子供たちに折り紙を教え人気者になっていた。
松久 舞(小6) 今回の最年少参加者。初めての海外旅行で
緊張しながらも精一杯体当たりで楽しんでいました。
森田パパ(?才) 明日香ちゃんのお父さん。夏の間はシカゴでお仕事をされているとの事から急遽合流。シカゴ滞在中には本当に何くれとお世話になりました。パパありがとう!

以上の計16名でツアーを開始しました。

8月16日(水)
関空17:00発 アメリカン航空AA-158便にて一路ダラスへ。
ダラス15:10着(トランジット) ダラス17:20発 → コロンバス20:53着。
コロンバス空港で郁子先生・宮澤さんと合流、ホテルで一息ついた後大人はホテル近くのバーで日米交流宴会開催。
8月17日(木)
朝からリハーサル。本番を明日に控え時差ボケを引きずりつつがんばる。
お昼はファーストフードで済ませる。各自注文するのだが、なかなか言葉が通じず、ゼスチャーで注文をとる人もいた。
その後も少し練習をしてからコンベンション会場へ直接向う組とちょっとだけ居残り組に分かれて行動。居残り組はフロントの人においしいイタリアンレストランを紹介してもらい食べに行く。注文してみると思いもしない量の料理が出てきて食べきれなかった。
8月18日(金)
いよいよ最初の本番。この日の為に強化練習をしたり、直前まで皆必死になって練習してきた成果を出すのだ。
ゲネプロの時間が短く、また本番まであまり間がなかったので、練習を終えて着替えたらすぐに本番になってしまった。特殊管のみの委嘱作品、ドビュッシーの弦楽カルテット・フルートアンサンブル版、など難解な曲をこなし、最後に教本にも載っているヴィヴァーチェを演奏。この曲ではTuttiとソロとに分けて演奏、曲の最後には原田君、J.K君の2人による楽しいパフォーマンスを披露、会場は大きな笑いと拍手に包まれ、演奏会は大成功に終わりました。
演奏終了後多くのアメリカ人から声をかけられまるで有名人にでもなったかのような盛り上がりを見せました。
演奏の後は打ち上げを兼ねて、皆でタイ料理を食べに行きました。
8月19/20日(土・日)
それぞれコンベンションを満喫。ちょっと退屈している子供たちはお土産を買いに連れていってもらったりしていた。
ホテル支配人が私達の為に練習場としてホテルのフロアを無料で貸してくれたので、そのお礼にホテルのロビーで皆で演奏する。お客さんはフロントの人が2・3人と泊り客のおじさんとその子供の5人位だった。
8月21〜24日(月・火・水・木)
早朝バスに乗り込み一路シカゴへ移動。
広大なアメリカの景色を眺めながら約7時間バスに揺られる。
途中バスの中はカラオケボックス状態になり、延々歌い続ける。
着いたらすぐにルーズベルト大学で演奏が控えているのに遊んでいた為、本番は皆眠たかったようだ。
大学で演奏し終わると、それぞれのホストファミリーが皆を迎えに来ていた。各家庭に散らばり24日の朝までお世話になる。

22日にはシカゴの老人ホーム・平和テラスでの慰問演奏会を開く。
日系2世3世の方たちが聴いておられ、演奏後はお茶を飲みながらの交流会で色んな話しを聞かせてくれた。
日本語を久しぶりで話すと言って喜んでくれたり、戦争でアメリカに残らざるをえなかった話しなど貴重な話を聞かせてくれ涙が出た。

24日は一日シカゴ観光。マイクロバスの運転手・ヨシさんと郁子先生のガイドでシカゴの街を周りました。高層ビルでの昼食、科学博物館では人体の輪切りを見たり、ミシガン湖での記念撮影、モールでお買い物、そして夜はチャイニーズレストランでアメリカツアー最後の打ち上げをしました。
原田君・竹本君がお世話になったホストファミリーと郁子先生の旦那さまのリチャードさんとその弟さん家族、そしてリチャードさんのお母様もいらしてくれました。参加者1人ずつスピーチをして楽しかったツアーを振り返り再会を誓いました。
帰りはなんとリムジンでホテルまで送迎、これはヨシさんの大サービスで実現しました。
豪華な内装に皆びっくり!こんなのに乗れるなんて最初で最後かも…。
8月25日(金)
朝5時頃シカゴオヘア空港へ向かう。
皆眠そうな顔で郁子先生と別れを告げる。飛行機の中からシカゴへさよならしたらさっそく寝てしまった。
関空に着いたら生徒さん達のご家族が待っていてくれました。ここでまた記念撮影、疲れたけどとっても有意義だったアメリカツアーは無事終わり、楽しかった思い出を胸にそれぞれの家路をたどりました…。
アメリカへ行った感想
森田明日香
コロンバスは寒かった。
コロンバスでNFA大会があったのですが、本当に寒かった。長袖を持って行かなかったので、半袖にサンダルという格好でホテルから会場へ行ったり来たり。その間サムイボが止まらなかった。その上寒い思いをして会場へ行くとクーラーがよくきいていて、どこにいても汗一つかきませんでした。

大会ではもちろん演奏したし、他のグループの演奏も聞いたのですが、演奏の前に英語の長いスピーチがあって、英語が苦手な上にリスニングが超苦手な私にとっては、「あぁ、眠気が・・・」と、時差ボケのせいもあって眠ってしまいました。曲も始めの拍手で起きるのですがα波ミュージックのような曲が流れてくると、二度眠ってしまい、終わりの拍手で起きる、という会場に何しに来てるのかわからない人と化していました。

去年私はアメリカに行ったのですが今回のツアーで去年できなかった事もたくさんできました。その中でも最も良かったのがホームステイです。私が行った家はホームステイする家の中で一番大きかったのですが、私が想像したものよりはるかに大きくて驚きました。やはり日本人の私は日本サイズで大きいと考えていたのですが、ホームステイ先はアメリカサイズでデカかったです。まず門から家が遠い。それにバカデカい庭。家の大きさもハンパじゃないので、私などはなんでこれが5人家族の家なんだ、と思いました。私の家も5人家族なのですが、土地はその家のウッドデッキと同じくらいの大きさ。もう家についた時は呆然でした。2階建ての地下室つき。家の中を案内してもらってる時はもう何度もため息が出てしまいました。その家の子供たちはとってもかわいくて、よく遊んでくれたし、ママさんは料理がめちゃ上手でスゴくイイ人でした。ただちょっと残念だったのはパパさんとあんまり会えなかったことです。やっぱりお医者さんで忙しかったのか朝起きたらいなくて、私たちが寝た後に帰ってくるというように全く会えませんでした。でもホームステイはとても楽しかったです。
今年は去年とはちがった経験もできたし、アメリカでフルートが吹けてとても良かったです。


アメリカツアーに参加して
一針浩子
私が参加を決めたのはしめ切り直前でした。アメリカツアーの参加募集を聞いた時は正直全く行く気がありませんでしたが、「親の脛をかじれるのも最後かもしれないよ」と後藤先生に言われたのをきっかけに参加を決めました。

まずコロンバスでのNFAコンベンション大会では大勢の観客を前に演奏しました。私はアルトフルートを吹いたりピッコロを吹いたり、今まで普通のフルートしか吹いたことがなかったので、今回はそれぞれの楽器をうまく吹き分けるのに苦労しました。初めての経験でしたがうまくいったのでよかったです。そしてシカゴでの2回のコンサートも大盛況だったと思います。むこうの人達との交流もあり良い経験になりました。

今回のツアーでは3日間のホームステイをしました。私のホームステイ先の家はテニスコートがあったり地下にはビリヤード台や映画のスクリーン程のテレビがある大きな家でした。家の人には買い物につれて行ってもらったり2日目には街の中にあるディズニークエストにつれて行ってもらいました。3人の子どもたちと折り紙をしたり家の中を走りまわって遊んだり、本当に楽しかったです。もっと会話できたらなと思うことがあったので英会話力を身につけ
ておけばよかったなと思いました。ホームステイ先の人達には本当にお世話になりました。

私は前回のアメリカツアー以後、笛の会行事に参加できていなかったので今回練習も含め、参加できたことはとてもよかったです。そしてガネーシャの一員としてアンサンブルに加われたことは良い経験になりました。今回このような貴重な機会を与えて下さったイクコ先生をはじめ、笛の会の先生方にはとても感謝しています。ありがとうございました。


アメリカに行って
大久保友祐子
私は、アメリカに行ってフルートを演奏した感想は、お客さんが意外に多かったということです。私は、そのお客さん達を見て、もうちょっと多く練習しといたらよかったと思いました。
あと、演奏会の時に、周りでフルートをふいている人が、私みたいに、下手ではなく、すごく上手なので、私もあれと同じぐらいにふけたらいいのになぁと思いました。でも、やっぱり一番びっくりしたのは、オーケストラを見に行った時でした。オーケストラを見て私は、どうやったら、こんな、いろんなきれいな音を出せるのだろうと思ってびっくりしました。

演奏会を通して思ったんですが、私がホームステイした家も、ジュリーという女の子が一生けんめい吹いていました。そのホームステイさせていただいた家の人は、とてもやさしかったです。英語のしゃべれない私に、ゆっくり英語を言ってくれたり、いろいろな場所(ミシガン湖、デパートなど)にもつれていってくれました。私は、初めホームステイいやだなぁと思っていたけれど、私が行ったホームステイ先なら、また機会があれば行きたいなぁと思いました。
でもアメリカは、いいことばかりではありませんでした。
なぜいいことばかりではなかったのかというと、それは、アメリカの食べ物が、あまりおいしくなかったからです。ピザやハンバーガーをたのんでも、からすぎたり大きすぎて食べられ ませんでした。あと、おすしを食べましたけどごはんはぱさぱさでおすしも、あまりおいしくなかったです。やっぱり料理は、日本の料理か、ホームステイの家の料理(ホームステイ先の料理は、とてもおいしかったんで)がいいなぁと私は思いました。

悪いところはこれぐらいで、あといいことがあったのは、デパートなどで品物がとても安かったということです。日本で買えば、千円ぐらいするようなものが、五百円くらいで売っていたりと、日本にくらべて、アメリカの方が、お得だなぁと思いました。私は、初めてアメリカに行って、アメリカって私みたいな者には、いいことばかりではない国だなぁと思いました。でも私は、アメリカに行ったことを、いい思いでとして残しておきたいし、また、きかいがあって行くことがあれば、このことを、参考にして、行きたいと思います。

* 私の希望では次はアメリカじゃなくて、中国に行きたいです。
初めてのフルート演奏旅行
松久 舞
私はフルートを習って、今年で4年目になります。今までは、ソロや、2、3人くらいのアンサンブルが多くて、大きな合奏は、やった事はあるけど、ほとんどしませんでした。2年前の4年生の時アメリカに行く話はちょっと耳にしていたけど、あっという間に月日が流れて、今年申しこんでから本格的に練習とか始めたらわくわくしてきた。でも、同い年のみずきちゃんが行けなくなって残念だった。

8月16日の出発までに何度か合同練習を続けていきました。でも、日が近付くにつれてだんだんあせってきました。そして、出発当日。飛行機に乗っていざ出発!あまり寝つけませんでした。夜遅くにホテルについたらバタっと倒れるように寝てしまいました。

2日目。明日が本番なので、たくさん練習をしました。フルートのコンサートも聞きにいったけど、すぐ寝てしまった。オハイオ州にあるコロンバスという所は、意外に寒くて、長そでが必要でした。

3日目は、第1回目の演奏会でした。リハーサルをしたあと、すぐに本番でした。ヴィヴァーチェの曲で私がソロをするところがとても不安でした。でも本番は大成功!!ほっとしました。でも演奏会は、後二回あって、次が心配でした。
4日目。本番が終わったので買い物に行って、そのあと又コンサートを聞きに行きました。今度はちゃんと聞いていました。(少し寝たけど)

5日目に突然ホテルのロビーで演奏する事になった。少し失敗してしまった。しかもソロだった。そのあとシカゴの大学で演奏する練習をした。

6日目。早朝、5時間バスに乗ってシカゴのルーズベルト大学に行きました。予想よりも建物の高さが低かった気がしました。さっそくリハーサルをしていたら、ピアノをする人やホームステイする人がどやどや入って来て、お客さんも来ました。ソロの部分が上手くいかなくて不安でした。本番はやっぱり間違えてしまった。がっかりしました。
そのあとホームステイ先にいきました。行ったら予想よりもはるかに広くて大きい家にビックリした。大きなビリヤード台はあるし各部屋にはシャワールームがあってまるでホテルの様だった。そこの家族は5人家族で子供達はすごく可愛かった。

7日目は、最後の演奏会場にいった。日系人の老人ホームだった。
昨日の失敗があったのでソロで出るところが不安だった。リハーサルは失敗してしまった。だから1人で練習をした。そうしたら本番が上手くいった。なんだか大勢の前でやって成功した時よりも違う意味で嬉しかった気がする。

8日目はステイ先の人たちとシカゴの街で遊んだりした。9日目はステイ先を離れて笛の会の人たちと貸し切りバス観光をした。郁子先生がいろんなところへ連れってってくれてとても楽しかったです。そして翌朝私たちはアメリカから帰国しました。

この旅行で私は、先生方や特殊楽器などとの合奏が何度もできたり、アメリカの人たちとフルートを楽しめたり仲良くなれました。すごく楽しかったです。英語がしゃべれないのが盲点ですが、フルートはもちろん、英語も上手くなったら又アメリカや他の国にもいってみたいなあって思っています。
アメリカツアーに参加して
J.K
生まれてこの方17年。このツアーが初めての海外旅行になりまして。
税関のおっちゃんが怖かったけど、無事着いたと言うことでとりあえずホッとしたな。初めてコロンバスのホテルに入ったときは、眠たくて何も感じへんかったけど、朝起きていざ出歩いてしまうと、もう「アメリカーっ!!」て感じ。人がすれ違う度に交わされる挨拶。映画で見たまんまって感じやわ。めっちゃウキウキしたんをまだ覚えてたりする。ほんでから、朝食のダイナミックさに感服。日が経つにつれて、人間慣れてくるもんで、ついつい英語もわからんのに喋りかけたりしてしまう始末。コロンバスで一番印象に残ったんは、帰る日の早朝にした間違い電話。これは焦った〜っ!奇跡的に、何のつまりもなく会話を終えたときにはもー...?

シカゴは、何といっても、ステイ先の事が印象的やね。ボクと加藤先生で乗り込んでんけど、その家、あんま人がいないのよね。いわゆる自炊?アメリカの町を、日本人二人、チャリで疾走したりした。でもその家族、いるときはメッチャ親切にしてくれて。夜、車でダウンタウン連れてってもらったり。感謝しております(森田パパにも)。

もう帰ってきて1か月以上経つけど、色んな事を全然覚えてる。向こうで買った服着る度に、買ったときの店員の顔が浮かんでくるからな。エンジョイしたし、本番もうまくいったし、懐かしい人にも会えたし、言うことないね!もう一回アメリカ行きたい!!
アメリカ旅行記
原田宗幸
長い間飛行機に乗って気分はブルーのままアメリカについた。
まず思った事は「でかい!!」だった。とにかくみんな背が高かった。
さすがにビビッた。入国審査の人は絶対2mはあった。まぁ〜こんなしょうもない話は置いとき、まず、ホテルに行った。そこで俺はある事に気が付いた。ビデオのバッテリーがなくなっている。俺は対馬先生に言い、いくこ先生とダッシュで飛行場にタクシーを飛ばした。バッテリーは運良くあった。もしなかったらアメリカのビデオは全然なかったでしょう。
話はとびましてコンサートの日、俺はキンチョーしていた。だが演奏についてのキンチョーじゃない。コンサート最後のパフォーマンスについてのキンチョーだ。リアクションだけで外国人を笑わせれるのだろうかとかコンサート前の大事な時間にそんな事を考えていた。

コンサートが始まった。まずは間奏曲。この曲は高音の苦手な俺にとっては最大の難関であった。ほっぺたも痛くなるし嫌な曲だ。でもがんばって吹いた。まぁなんとか吹けた。次はドビュッシー、この曲はがんばった。アメリカに行くまでの一ヶ月何回吹いただろうっていう位吹いた。いきなり一ヶ月前に楽譜を渡され「うわーややこしそー。」と思ったが「大丈夫。上手な人がおるから。」と言われて安心したのもつかの間、その人が来れなくなった。俺はあせった。なんたって一人で3rdを(※3番パート)しなければならなくなったのだ。おかげでうまく通ったし、充実感もすごくあった。

そのあと、いろいろ曲をやって最後のヴィヴァーチェ。これは俺が最も緊張していた、パフォーマンスをする曲だ。俺の番が回って来た。俺は舞台の前の方に行きJ.K(相方?)にフルートをぶつけた。場内の人は驚いていた。ミスをしたとも思ったのだろう。俺はJ.Kをにらんだ(みつめた?)。場内から笑い声がきこえてきた。すかさず俺は次にギャグに移った。フルートを逆で吹くのだ。客から見て足部管が右に見える様に。場内はうけた。うれしかった。演奏がうまくいったのもうれしかったのだがパフォーマンスがうけたのが一番うれしかった。

ホームステイではファミリーの優しさのおかげでノビノビアメリカ生活ができた。英語が話せなくてもお互いがお互いを知ろうとすると言葉なんか分からなくてもいけるっていう事も分かった。でもやっぱり英語はいるかな?やっぱり話せたらおもしろいと思う。

アメリカは良い国だ。食事はともかく景色も奇麗だし人も皆優しい。又、機会があったら行きたいです。
僕にこんな貴重な体験をさして下さった、父さん母さん、笛の会の先生方、旅行会社の方、本当にありがとうございました。
アメリカツアーの感想
竹本あす望
僕は今回初めて外国に行った。最初に飛行機に乗った時にびっくりしたのがスチュワーデスが外人だった。それと日本の映画に英語で字幕が出てた。
アメリカに着いて次の飛行機に乗った時に隣に外人が座った。その人は僕が英語があんまりしゃべれないと言うと、会話する時にゼスチャーをしてくれたのでめちゃくちゃわかりやすかった。この人に会うまで僕は外人は恐いと思ってた。けどこの人に会ってすこしリラックスした。

ホテルに着いて一日目は寝た。
二日目は練習した。
あんまり曲が吹けなかったんで本番いけるんかなと思った。
三日目はなんかめちゃくちゃしんどかった。そして本番が終わってコロンバスからシカゴへ移動した。
バスの中はひたすら寝た。その日の昼ごはんはマクドナルドだった。ポテトとジュースの大きさにびっくりした。そしてシカゴのコンサートも終わってホームステイ先に行った。
ホームステイ一日目は夜遅かったので寝た。二日目も昼まで寝てた。
ちょっとフルート練習して散歩した。
ホームステイ先の家にはテレビがなかった。ちょっとびっくりした。
猫もいた。日本の猫よりでかかった。っていうかすごい牙やった。
買い物にもつれていってもらった。普通のスー パーにつれていってもらった時に物のでかさにめちゃびっくりした。アイスクリームなんかバケツみたいないれもんに入ってた。
最後の晩ごはんはバーベキューをしてもらった。外国の肉はおいしくないって友達から聞いてたけど実際食べてみるとおいしかった。そしてホームステイ先からホテルへ移動した時にホームステイ先にパスポートやらを忘れてきてしまった。自分でもあほやと思った。
そしてその一日は市内観光をした。高いビルがいっぱいあった。
あんな景色は今まで見たことなかったから、ちょっと感動した。最初見た時は絵かなと思うぐらいきれいな風景やった。やっぱりアメリカはスケールがちがうなと思った。
市内観光はかなりおもしろかった。
その日の夜リムジンも乗った。これも感動した。

そして最終日この日はかなり朝が早かったんでねむくてたまらんかった。
帰りの飛行機の中はかなり寒かった。
そして日本についた。日本についた瞬間つかれがどっときた。めちゃくちゃしんどかった。
最後に、日本について最初に聞いたニュースがアンディ・フグが死んだと言うことだった。
これを聞いて時つかれがさらに倍になった。
でも全体的にはおもしろかったからまたきかいがあればいき たい。


森田明日香・一針 浩子・松久 舞 の3人娘がお世話になったお宅は、門から家まで十数メートルあり、家屋玄関前はホテルのようなロータリーになっています。家の扉を空けると目の前にはどどーんっと大きな階段が現れます。
ゲストルームが10室位あり、自由に飲む事のできるバーや地下にはビリヤード台があるプレイルーム、庭にはテニスコートと、こんな所に泊ってしまってはもはや日本に帰りたくなくなってしまう程の大邸宅でした。ここのお宅のご主人はイタリア出身のお医者さま。家族はお父さん、お母さん、8・6・3歳になる子供たちの5人家族。子供達は猫のようにじゃれあって遊び、すぐに3人娘と仲良くなってしまいました。お母さんは手の込んだとてもおいしい料理を作ってもてなしてくれました。家も自分で掃除しているそうです。(とてつもなく広いのに…)
今回のホストファミリーの中では一番デカイ家でした…。
後藤菜美・大久保友祐子の2人がお世話になったお宅は、親日家のお父さんとお母さん、9・7歳になる女の子の4人家族です。
家の大きさは普通位、でも庭がめちゃ広い。教育的な明るい家庭でお父さんは毎晩娘達に絵本を読んで寝かしつけるやさしいお父さん。お母さんも音楽を愛するやさしく静かなお料理上手で、普段から娘達にひらがなや折り紙を教えています。自由行動の日にはデパートやミシガン湖に連れて行ってくれました。とても控えめなやさしいご両親で、日本のお菓子をわざわざ買って来てくれたり日本のビデオをかけてくれたり、私たちがいる時にはフルートのCDをかけてくれたり、とにかくやさしい気遣いに溢れていました。
子供たちは折り紙が大好きで、色んな折り方を知っている友祐子ちゃんは人気者になっていました。
原田 宗幸・竹本あす望の2人がお世話になったお宅は、哲学者のお父さんとお母さんとチェロを弾くお姉さんとフルートを吹く弟のアレキサンダー君の4人家族です。ここのご家族は2人をとてもかわいがって下さって、シカゴでの最後の打ち上げにも4人で駆けつけてくれました。
2人がここのお宅にお世話になって最初に驚いたのはテレビが無い事でした。そして家族中で読書をする時間があったそうです。
日本にいては色んな情報や音にまみれていますからこの体験は2人にとって有意義で貴重なものだったようです。
寝る部屋はアレキサンダー君と3人1部屋。向こうは当然ベッドでの生活ですから、2人は部屋の隅の方にフトンを敷いて肩を寄せ合って寝たそうです。
打ち上げの時に哲学者のお父さんが、「2階から2人の吹くフルートの音が聴こえ、隣からはチェロの音が響いてた。その音を聴いていると心が和みました。この素晴らしい体験を私は忘れません。」とおっしゃっておられました。
加藤勇仁・J.K君の2人がお世話になったお宅は、看護婦のお母さんと2人の娘さんと飼い犬ザックの4人(?)家族です。お母さんはちょっと忙しかったようであまり家にはいらっしゃらなかったのですが、夜のシカゴをドライブしてくれたりTシャツをプレゼントしてくれたりと何かと親切にして下さいました。また、犬のザックは2人の良き話し相手になってくれたようで、ツアーのビデオにも写っていますが2人ともかなり親交を深めたようです。

『風の音』では皆さんのご意見ご感想をお待ちしております。又、掲載記事も大募集です。普段感じているフルートの悩みやトラブル、または練習方法や楽しみ方など、どんな事でも結構ですので是非こちらへ文章をお寄せ下さい。インターネットの掲示板程にはいきませんが、紙面上で意見の交換が出来ればグッと世界が広がるはずです。皆でフルートの輪をもっと広げませんか?

送り先は、

関西笛の会事務局
〒572-0019 大阪府寝屋川市三井南町24-2-101 対馬方
Tel/Fax 072-833-4081
E-Mail
http://www.fuenokai.net/

『風の音』担当 後藤菜美 までどしどし送ってきて下さい。
お待ちしております!

編集後記 ************************
書きながら色んな事を思い出して楽しくなりました。
特にホームステイ先での生活が楽しく貴重な体験となりました。
個人的にはアメリカはこれで3回目なのですが、以前はあまり感じなかったアメリカの良さを今回はひしひしと感じました。
日本と違ってアメリカでは人間が大切に扱われているなぁ、と思いました。
例えばアメリカでは、全然知らない人でも通りすがりに挨拶をしてくれたり、物を訊ねたりしても親身になって教えてくれたり、あと街に車イスの人を良く見かけましたが、障害があっても健常者と同じように生活やイベントを楽しんでいる様子など、これだけではありませんが、様々な面で人間同士がコミュニケーションをとっている様子に思いがけずホッとしている自分を感じました。
今の日本では街を歩く人は疲れて下を向いているし、他人の事にも興味がなく皆無表情。
コンビニの前には1日中若者が目的もなくたむろして、店に入るのに邪魔になっていても何の関心も持たない。
日本では今「自己中」という言葉が頻繁に使われて、実際自己中心的・利己的な人がどんどん増えて、日本は将来「自己中地獄」になるだろうと言われています。
いつの間にこんな風に日本はなってしまったのだろう、と恐ろしくなりました。アメリカだって良い面ばかりではありませんが、少なくとも人間が人間によって尊重されていて、堂々と自分の意見を述べられる人間性を大事にしている国だな、と思ったのでした。
…食べ物については考え直した方がいいと思うけど。

後藤菜美



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